世界中で出版されている「トンプソン現代ピアノ教本」の作者であるジョン・S・トンプソンとはどういった人物でしょうか?
ジョン・シルバナス・トンプソン(John Sylvanus Thompson、1889年3月8日 – 1963年)は、アメリカのピアニスト、作曲家、教育者です。
「トンプソン現代ピアノ教本」が世界中で出版され有名です。
生誕〜大学卒業まで
ジョン・シルバナス・トンプソン(John Sylvanus Thompson、1889年3月8日 – 1963年)は、アメリカのピアニスト、作曲家、教育者でした。
1889年3月8日にペンシルベニア州ウィリアムズタウン生まれました。
雑貨店の商人であるジェームス・C・トンプソンと妻のエマ・J・トンプソン(旧姓ホール)の間に生まれました。両親はイースト・マーケット・ストリートの聖心教会の隣にあるトンプソン商会を経営していた。
弟が3人(1895 年生まれのアルマ、1900 年生まれのジェームス ジュニア、1905 年生まれのフランク)いました。
ジョンは幼い頃からピアノを習い始め、神童として知られるようになったといいます。父親と一緒に地元のコンサートで演奏することも多かったようですが、ソロ・アーティストとしても名声を得ました。
まだ10代半ばだった頃に、フィラデルフィアのリーフソン・ヒル音楽院とペンシルベニア大学で音楽の勉強を始め、テキサス州アビリーンのシモンズ大学で音楽博士号を取得しました。
演奏家から教育者へ
正規の教育を受けた後、コンサート・ピアニストとしてアメリカやヨーロッパの主要都市に出演し、その華麗な演奏は聴衆を驚かせました。
しかし健康上の問題と第一次世界大戦につながる不安のため1914年4月にアメリカに帰国しました。
ピアノを教えるためにフィラデルフィアに移り、3歳年下の作家ロレッタ・キャサリン・フォイと出会って、1916 年 8 月 14 日に結婚しました。
その後ミズーリ州カンザスシティに移り、音楽学校でピアノ教師として働きました。
1918 年に息子のジョン ジュニアが、1924 年には次男のチャールズ レスリーが生まれました。
彼はピアノ教育において長く傑出したキャリアを維持しました。フィラデルフィア、インディアナポリス、カンザスシティの音楽院を率いました。
ピアノ教育について
トンプソンは早くから、ピアノを学ぶのはもっと簡単で退屈なことではないはずだと考えていました。
『小さな手のためのピアノ教本』『現代ピアノ教本』は、1937年、彼が48歳の時に出版されました。
ピアノを習う若い生徒たちに興味を持たせるための努力によって、短期間で有名になった。
ジョン・シルバヌス・トンプソンは1963年に長い闘病生活の末、アリゾナ州ツーソンで亡くなりました。
彼が出版した教本は世界中で有名になりましたが、トンプソン自身は故郷でもあまり記憶されていないようです。
トンプソン現代ピアノ教本
こちらでトンプソンの教本を詳しく紹介しています。
参考
参考にさせていただいたのはこちらの2つのサイトです。
こちらではトンプソンの顔写真や、当時のコンサートを紹介する記事、父親の雑貨店などを見ることができます。
執筆者
ピアノ講師・ピアノ演奏家のピアノレッスンズ。
自宅教室で指導の傍ら演奏活動を行う。
「自分で奏る喜びをたくさんの人に」をテーマにwebサイト「ピアノ・レッスンズ」を運営。
中高教員免許(音楽)取得。
チャイルドカウンセラー取得。
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